トノサマガエルと茹蛙 前田 新さんの詩-2

 

トノサマガエル  自宅の水場にて 2022/08/12撮影

名前の由来について諸説あるようですが、驚いたり天敵に襲われたりした際、トノサマガエルはお腹に空気を溜めて体を膨らませて自分を大きく見せて敵を追い払う作戦で難を逃れようとします。

その際の姿が、偉そうに踏ん反り返っているように見えるため、“殿様”ガエルという名で呼ばれるようになった…という説に僕は一票です。

 

ちなみに人間界、特に永田町界隈には偉そうに踏ん反り返っている輩が多いようですが、実は「ヒビっている」というコトの証なのかもしれませんね。

 

さて、先日ご紹介した農民詩人、前田新さんの新しい詩集「詩人の仕事」から、今日は蛙に因んだ一篇。

 

※ご紹介する詩はご本人の承諾を得て転載しています

 

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茹蛙

 

G・ベイトソン

「茹蛙(ゆでがえる)」理論が喧伝されたのは

二十世紀末だが

あれは企業経営論として読んだ

脳は状況に慣らされてゆくと

迫ってくる死の恐怖を

意識しない

 

蛙の入れられた

水の温度が

徐々に上げられてゆく

 

水のうちなら跳ねても

逃げられるが

蛙の脳は環境に順応しようとして

そうした行動も起こさない

やがて、そのとき

もう、蛙に危機を脱する力はない

 

防衛省が日報を隠したとき

ふと、「茹蛙」理論が

私の脳裏を走った

まだ、国民の脳は

危機を感じていない

改憲勢力は二十代から三十代の

支持率が高いという

 

彼らが茹蛙になるのかと

余計なおせっかいだが

八十歳の私は

過去の体験から想像する

 

特定秘密保護法

状況は秘匿される

同盟国軍への

駆けつけ警備で武器の使用が

できることになった

しかし、戦闘とも

交戦とも言わない

戦争を事変といったのと同じだ

一連の戦争関連法によって

温度は確実に上げられている

 

ほどなく時間の埒外

出てゆく私が

膨れ上がった茹蛙を

見ることはないだろう

ただ妄想するだけだが

そのなかに孫やひ孫がいると

思うのは辛い

 

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権力者たちの都合で殺されていった

世界中の罪なき人々

 

そして人間の都合で殺されていった

罪なきすべてのいきものたちへ

心より哀悼の意を表します